黙示録

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麻枝准が変わらず描き続けてきたメッセージ ~ 『ヘブバン 第五章前編』をプレイして

 

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我々が求めていたものがそこにあった。


2024年2月23日にリリースされた「ヘブンバーンズレッド 第五章前編『魂の仕組みと幾億光年の旅』」

AIR』『CLANNAD』を始めとする名作の数々のシナリオを世に送り出してきた麻枝准氏による最新作「ヘブンバーンズレッド」の最新シナリオに当たる第五章前編。

このシナリオがいかに完成度の高いものであるか、シナリオ中の鍵となる要素を振り返りながら、麻枝氏が歴代作品を通して描き続けてきたメッセージを踏まえつつ書き残したい。

 

※本記事には「ヘブンバーンズレッド 第五章前編」の内容のネタバレが多分に含まれます。ご理解の上お進みください。
※本記事には実際のゲーム内と異なる描写が含まれる場合があります。本編中の描写について誤っている箇所がございましたらご指摘ください。

 

 


ヘブンバーンズレッド 第五章前編『魂の仕組みと幾億光年の旅』

 

第五章前編で鍵となる3つのピース


第五章前編ではシナリオの大筋・個々のエピソードを通して「自身の過酷な運命を受け入れて、それでも前へ進んで行く」というメッセージが物語中繰り返し描かれることになる。


特に本章で鍵となるエピソードは、


1. 月歌の過去
2. 樋口の決心
3. 月歌の喪失

 

この3点である。これら3つのすべての要素が本章のシナリオとメッセージを形作る上でなくてはならないものであり、このことが本章を一切の無駄のない美しいシナリオに仕上げたことに貢献している。

 

月歌の過去


本章では最初から最後に至るまで、主人公・茅森月歌が同31A部隊員の逢川めぐみのサイキック能力を通して精神世界(シナリオが進むにつれ、これが単なる精神世界ではなく実際の過去へと遡る行為であることが判明していく)へとダイブし、自身のルーツを辿っていく構成となっている。
何度も繰り返すダイブを通して、月歌は両親との生活や音楽活動を始めるに至った経緯、自身の死とそれに精神を苛まれる母・陽向、その後の陽向の死を思い出していく。はじめはこれらの悲劇的な結末を受け入れられず、ダイブを私利私欲のために利用したり、過去改変を試みることで死を回避しようとしていく。しかし、実家に火災を起こそうとするなど自滅的な行動を通して、自身の行為が他ならぬ最愛の母を傷つけていることに気づいたことで、自身に待ち受ける死と、その後の母親の死を受け入れる決断をする。

過去の過酷な運命に直面したことでそれを受け入れることが出来ず、「ずっとこの世界でお母さんと過ごしたい」「自分の死とお母さんの死をなんとしてでも回避したい」という逃避行動を繰り返した末、その行為が無謀なものであることを理解しその運命を受け入れることで、月歌は前へと進んでいく。

 

 

樋口の決心


本章では、これまで繰り返し「死への欲求」を口にしていた樋口聖華にもスポットが当たることになる。
第二章での部隊長・蒼井えりかの死後、部隊が5人へと減ったことで作戦行動に支障をきたし続けている状況に嫌気が差した樋口は、部隊メンバーに部隊からの脱退を申し出る。ここで、彼女は「セラフ部隊員はナービィをヒト化したヒト・ナービィである」という、一部メンバーのみしか知ることのない事実を知る者の一人であること、「死への欲求」を満たすために自ら志願し、ヒト・ナービィへと生まれ変わっていた(=1度人間として死亡する経験をした)ことが明らかとなる。
4日間の部隊長適性審査を兼ねた行軍任務を経て、なお脱退への決断が変わることのない樋口。ところが、任務最終日に偶然巻き込まれた地面滑落により部隊から孤立した樋口は、潜伏キャンサーの猛攻を一人受け続けることになる。兼ねてから死亡欲求を口にしていた彼女だが、本当の死の危険に晒されたことで初めて「生きたい」という心の内を吐露し、間一髪で救出にやってきた部隊メンバーにその思いを打ち明けることで一連の脱退騒動は収束する。

部隊からの脱退、そして何より「死」という逃避行動の末、心の奥底に眠っていた「生きたい」という願望に気づき、セラフ部隊員として果たすべき役割を受け入れる。ここでようやく「死」という後ろ向きな感情から、「生」という前向きな感情へとシフトし、樋口は前へと進んでいく。

 

月歌の喪失

 

淡路島への行軍中、未確認キャンサーと接敵し、月歌は部隊メンバーの目の前でキャンサーに捕食されてしまう。なす術なく撤退したメンバーは月歌の生存が絶望的な状況であることに打ちひしがれていた。特に、同部隊の和泉ユキはこれまでの心の拠り所としていた月歌を失った現実を受け入れることが出来ず、自殺を試みる。そこで現れるのがほかでもない樋口聖華。「樋口の決心」項で記した過去の自身と和泉とを重ね合わせ、自身の心境の変化と和泉の果たすべき役割を諭し、和泉は死を思いとどまることになる。

直後、月歌の電子軍人手帳から生存反応信号を受信した司令部から月歌救出作戦が発せられ、全部隊総動員による未確認キャンサーの討伐・月歌の救出が敢行されることになる。各部隊との連携の末再度月歌を捕食したキャンサーと邂逅した31Aメンバーは討伐に成功し、キャンサーの体内に取り込まれてた月歌を和泉が素手で引きずり出すが、呼吸は既に止まっていた。月歌に対して伝えられずにいた素直な思いを吐露しながら、懸命の救命措置を繰り返す和泉。それに応えるかのように月歌は息を吹き返し、救出作戦は成功に至った。

月歌の死という現実を受け入れられず「死」への逃避を図った和泉だったが、樋口の言葉をきっかけとして現実を受け入れ、前へ進んでいく決断をする。そしてこの決断が、結果として月歌を救うことに繋がっていく。

 

 

3つのピースが重なり合うことで辿り着く結末

 

本章ではBAD ENDが用意されており、月歌が繰り返す精神世界へのダイブの中で自身の「記憶集め」をしていない場合、和泉の救命措置でも月歌は目覚めることなく息を引き取ることになる。
ところが、このエンディングを経ても和泉は再び自殺を選ぶことはなく、再び戦場へと身を投じていく姿が描かれている。「月歌の喪失」項で触れた通り、彼女は既に前へと進む決断をしているからだ。つまり、この決断は和泉にとって自身の生きる理由である月歌の生死ですら問わない、確固としたものであるという力強いメッセージが込められたエンディングとなっている。

さらに興味深いのは、TRUE ENDとBAD ENDとで月歌の生死を分けたのは「月歌が過去と向き合ったかどうか」という点にある。
「月歌の過去」項で述べた通り、月歌が精神世界へのダイブにおいて経験した「記憶集め」を通して、自身の運命を受け入れ前へと進むことを選んだ結果、彼女自身の生きる意志と和泉の献身が合わさって、ようやく月歌は生還へと辿り着くことができる。

 

本章のラストでは、月歌が最後の精神世界へのダイブを通して、母・陽向に対し自身の死や、その後ヒト・ナービィとなった月歌と入れ替わっていた真実を打ち明け、そしてこの事が向かい来る陽向の死に繋がったかどうかを問うこととなる。陽向は月歌の死とナービィとの入れ替わりをすでに悟っており、それでもなおヒト・ナービィ月歌を愛していたこと、やがて来る自身の死は月歌の死とは無関係であることを伝える。ここでようやく月歌は、揺らいでいた自身の存在意義を確固たるものとし、「母との別れを受け入れる」という最後のピースを埋めたことで物語は幕を閉じる。

 


改めて全体を振り返ると、3つのピースである「月歌の過去」「樋口の決心」「月歌の喪失」それぞれがいかに重要であったかが分かる。
即ち、樋口が選んだ「生きる」という決断が和泉の「生きる」選択へと繋がり、その和泉が月歌の命を繋ぎ止める。さらに、月歌自身が旅を通して向き合ってきた自身の過去が最後の鍵となって、月歌は再び世界に戻ることができ、登場人物すべてが「運命を受け入れて、前へ進んで行く決断をする」という決着に至った。いずれかが欠けていれば辿り着くことの出来ない結末であり、これが第五章前編が一切の無駄のない美しいシナリオへと仕上がっている所以といえよう。


「麻枝作品」の観点からみた第五章前編


筆者は本ゲームにおける本章以前のシナリオ、とりわけ第2章における蒼井えりかの死、第3章における蔵里見の死に感情移入することが出来なかった人間である。この二人の死の描写は、序盤からユーザーに感動体験を与えるという制作上の意図は勿論のこと、蒼井の死はヒト・ナービィの存在を示唆するものとして、蔵の死はヒト・ナービィの存在を登場人物たちに示すものとしてシナリオ構成上デザインされたものであり、物語上の舞台装置として描かれている感覚を拭い切れなかったためである。


本章では、直接的にキャラクターの死が描写されることはない。過去の月歌と母・陽向の死は直接描写されることはなく、樋口と和泉に至っては死そのものを回避した。ところが、本章で描かれた「生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされる月歌・和泉・樋口」「死という未来が確定しているかつての月歌と母・陽向」は、シナリオ進行上の舞台装置としての死ではなく、あくまで「自身に定められた運命を受け入れて、前へ進んで行く」というテーマを描くための要素として機能している点が明確に異なる。


そして、このテーマこそ麻枝准シナリオライターとして20年以上に渡って一途に描き続けてきたメッセージに他ならない。観鈴との別れを経てもなお前へと進んでいく晴子、智也との別れを経てもなお前へと進んでいく智代、かなでとの別れを経てもなお前へと進んでいく音無、そして自身の過去と母との別れを経てもなお前へと進んでいく月歌......

シナリオライター麻枝准が描くテーマは、処女作「MOON.」から最新作「ヘブンバーンズレッド」に至るまで一貫してこの「過酷な運命を受け入れて、それでも前へ進んで行く」という点を愚直に描き続けてきた。いつの時代であっても我々は現実に絶望し、生きる希望を見失ってしまうことがある生き物である。そのような人間の性に対して最後まであがき続けることを訴えるこのメッセージは、人間が人間である限り普遍的なものであり、それ故彼の作品は世代や国境を超えて愛されているのかもしれない。

そして、本作で描こうとしているメッセージが過去の作品からブレることなくこれまでの麻枝作品と同一のものであることが再認識できた今、今後の展開がどうなっていくのか、期待は膨らむばかりだ。

最後に、第五章前編のキャッチコピーで本記事を締めくくりたい。

 

やっぱり、大好きだ。」

 

その他

月歌の精神世界


本編中で度々挿入される月歌の精神世界=過去の風景が、Kanon・舞ルートにおける稲穂畑やCLANNADにおける幻想世界のような、歴代麻枝作品のいくつかで描かれたイメージと類似している点が印象的だった。これらに共通しているのは現実の時間軸と隔絶された世界であることであり、『ONE 〜輝く季節へ』から執拗といえるほどに描き続けてきた、麻枝氏のイメージする別世界、あるいは彼の原風景のビジュアルイメージなのだろうか。だとすれば、それをゲームフィールドとして自由自在に動き回ることのできるゲーム体験がいかに贅沢なものであるか。プレイする度にそのように想像を膨らませることができ、感慨に浸っていた。

 

明かされていない謎・新たな謎

 

第五章前編を通して明らかになったものは多いもの、逆に新たに増えた謎や未だ明かされていないものも多い。月歌の水難事故、月歌へと生まれ変わるナービィ、陽向の水難事故といった一部始終は本章でも描かれることはなかった。加えて、第五章前編終了時点でおそらく月歌のセラフは1本のままであり、「なぜ月歌だけが2本のセラフ使いなのか」についての謎も残ったままである(セラフについては、冒頭の段階では「人間月歌・ナービィ月歌の2つの魂によって2刀使いとなった」と考えていたが、ナービィが熊を撃退する際に使用したセラフが既に2本だったため、当然この推測は外れていることになる)。
これらの謎が「伏線としてあえて描かれなかった」のか、「描く必要がないと判断し描かれず、今後も描かれることはない」のか。過去の麻枝作品の傾向からどちらもあり得るため、現時点で正解を推測するのは非常に難しい。

 

第五章前編の現在位置

第五章前編でかなりシナリオが進んだことで、いよいよ物語の結末がどのようになるのかと考える段階に入り始めた。麻枝氏がリリース一年目の段階で「ストーリーの節目となるラストシーンは数年前から考えていて、そこに向かって全力で取り組んでいます」「ラストシーンを描いた後のつぎの展開も考えています」とインタビュー*1で語っていたことは記憶に新しい。次章である第五章中編、そしてその後の展開にも思考を巡らせたい。